エンジニアが映画評論家になるブログ

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エンジニアをしている普通のサラリーマンが、映画評論家になってどや顔で映画評論するまでの軌跡を綴るブログです

火花みたいに一瞬で消えるほど印象の薄い映画!? 「火花」

旧作、新作、洋画、邦画、さまざまな映画をバランスよく観ていきたいと思っているので、本日は邦画をみることにしました。

明日は映画館で映画を見に行くつもりですが、とりあえず本日は家で映画鑑賞(Netflix)。

 

うーん・・・いろんな映画を観るべきだとは思うけど、内容の薄い映画を観るのはきついなー。今回は「みんなに観てほしい!」という感覚ではないのですこしドライな文体で淡々と綴っていくつもりです。それでは365日映画カレンダー本日、鑑賞した映画は・・・

 

365日映画カレンダー 8月31日 「火花」

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火花

2015年

監督:板尾創路

 

概要

徳永(菅田将暉)は熱海での地方営業で神谷(桐谷健太)と出会う。漫才の師匠として弟子入りを希望する。徳永は神谷と時間をともにすることで感化され、そして憧れる。

同期の芸人の一部が売れ出してテレビに出演するなかなかなか売れない徳永は焦りを感じながらも、必死に漫才を続けてゆくのだった。

感想

映画を5分~10分で納めたなら世間的には良作

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無駄なシーン。これで一体なにに魅了を感じればいいの?

とにかく無駄なシーンが多い。退屈の一言に尽きる。

特に無駄なシーンだと思うのは芸人さんが漫才をするシーン。監督が板尾創路なのでということもあるかもしれないが、必要以上に「面白いだろ」と言わんばかりにちょいちょい漫才シーンがはいって物語の内容に集中できない。もっと内容を精査し、必要な場面を深く描くことでひきしまった内容にできたのではないだろうか。

 

作品のおおまかな流れは結局下記のようになっている。

①徳永が神谷と出会う。徳永は神谷にあこがれる

②芸人としては結局成功できず、徳永は芸人を引退する。

③徳永は芸人をやめて普通に働くが、芸人として過ごしてきた時間は無駄ではなかったと感じる

 

すごく簡単に映画の内容を言ってしまえばたったこれだけ。

そこから物語に肉付けをしていくことで結果として物語やキャラクターに深みがでて観ている人は作品の世界に没頭することができるのだが、今作ではその肉付け作業が上手ではないと思う。むしろへたくそだと思う。

 

先述したとおり漫才のシーンはくどいし、神谷を魅力的なキャラクターと思えるようなエピソードが少なくとも僕が見る限りまったくない。

 

思うに今作は5分~10分くらいのショートムービーで十分だったのではないか。

例えるならばMV(ミュージックビデオ)みたいなイメージだ。

MVは細かいところはあえて省いて、歌に合わせて印象的なシーンだけをふわっと表現しているから観ている人は「なんとなく」いい感じの映像を見ているような気持ちになる。

90分だらだらと無駄な描写を垂れ流すくらいだったら、引き締まった内容のショートムービーで十分だろう。

 

意味不明=感性豊か だと思っているの?

板尾創路にもの申したい。

とくにこれだけは我慢ならん、というくらい意味不明だったシーンがひとつある。

それは登場人物が東京タワーのてっぺんにつきささっている?シーン。

はっきりいって意味不明。しかもCGも安っぽいし、存在意義がまったく分からない。松本人志の「大日本人」を観たときも思ったのだけど、自分の頭の中でふくらんでいるイメージを、観る人にわかりやすく、そして印象的に伝えるのが表現者としての果たすべき役割だと思う。

しかしそのへんのバランスはおそらくむずかしいのだろう。あまり分かりやすぎて、誰でも分かるくらいシンプルすぎてもそれはそれで希少価値がないし、かといって意味不明すぎてももちろんだめだろうし。

特に今作「火花」は芥川賞を受賞していて、直木賞とちがって同賞の受賞作って「意味わからんけどなんか純文学だ!!」って作品が多いから作中の雰囲気を表現するのは難しいのだろう。

でもあのシーンだけは本当に意味不明だし、間違いなく不要。

ちなみにどれくらい安っぽくて無駄かについては映画を実際に観て確かめてほしい。

 

花火を安っぽいCGにするな

「そうだ!花火でも見に行きませんか?」

物語のラストで、まるで「火花」のタイトルのためだけに無理矢理、花火を見に行くシーンがあるのだけど・・・

 

花火をCGにすんな・・・・

 

ひゅーーーーーー・・・

 

ばーん!(安っぽいCGの花火が画面上に広がる)

 

僕「・・・・・・・って、安っ!」

 

セリフの言い回しには力強さがあっていい

 

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お金がないはずの登場人物は無駄におしゃれさん

唯一よかったと思えるところがある。それはセリフの言い回しだ。

 

永遠とも思えるような救いようもない日々は決してただのバカ騒ぎなんかではなかったと断言できる

 

自分が考えたことで誰も笑わない恐怖

自分が考えたことで誰かが笑う喜び

常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ

 

徳永が最後の解散ライブに向かうシーンで自省するような形で語るシーンがあるのだけど、そこでの言い回しはシンプルながらも引き込む力があってよかった。原作のセリフをそのまま引用しているのだろうけど。

火花が一番輝いているときのうつくしさ、そして儚さのようなものはセリフやシーンの雰囲気から一応感じることができた。

 

解散ライブはお涙ちょうだい茶番劇

終盤で徳永たちのコンビ「スパークス」がラストライブをするのだけど、これがまた寒い。これまでのシーンで作品の世界に没頭できていれば感じ方もずいぶんちがったんだろうけど僕の場合すでに作品に対して否定的な感情がつよかったし、いかにも「感動するだろ?」といわんばかりの内容で退屈だった。

このシーンだけをきりとってMVにしてしまえばそれなりに需要はある映像になると思う。だってこういういかにも「感動的」なシーンってみんな好きだろうし。

 

 

まとめ

 原作を読んでいないのだけど、登場人物たちの心情の変化が映像に落とし込めていないという印象。中途半端な映画だった。

 

ブログ作成時間:15分