怪物は語る。3つの深イイ話!しかし4つ目を語るのは、主人公、オマエだ。 映画感想「怪物はささやく」
365日映画カレンダー 10月13日 「怪物はささやく」
映画の「テーマ」って主人公の性別や年齢である程度決まってくるような気がします。
たとえば僕が大好きな「ヒロイン病死系」映画ならヒロインはまず間違いなく「女子高生」で、テーマは「青春」であったり「はかない恋」だったりします。
これが30代のさえないおっさんだったり、おばさんだったりしたら「青春」ってテーマは観ている人に伝わらないでしょう。
30代の主人公ならサラリーマンの「奮闘」だったり、「家族愛」なんかがテーマとして設定されるんだろうな。
さて、今作「怪物はささやく」の主人公はひとりの少年です。
今作のテーマは少年の、精神的な「成長」を題材にした物語です。
おすすめ度
3:世界観はすごくいい。ただ怪物の「深イイ話」が少し分かりにくかった。
【おすすめ度は1が低評価。5が高評価。あくまでも独断と偏見による評価です】
概要
*ひとつツッコミたいところとしてはタイトルが怪物は「ささやく」となっていますが、怪物はそれほどささやきません。
「さぁ、物語を話すから聞け!そんでもって最後はおまえが物語を話せ!話せ!オラァ!話せや!」
みたいない感じで、割と怪物の圧が強め。笑
感想
怪物が話す3つの「矛盾」に関する物語と少年の葛藤
まず設定がすごく魅力的でよかったですね。
・12時7分になると怪物が現れて(この時間にも意味がある)
・主人公であるコナーに怪物は3つの物語を聞かせる
・そして、4つめの物語は「おまえの真実」を話せ、と怪物はコナーに言う
うーん。いい設定だなぁ。
この映画のジャンルは「ダークファンタジー」に分類されるようですが、ダークは置いておくにしても、ファンタジー要素満載で絵本にありそうなストーリーで非常に興味がそそられますね。
しかし難点があるとすれば
怪物の深イイ話が結構わかりにくい
ことです。
まあ大体「イイ話」ってのはよくよく考えてみると話の本質が分かって「なるほど、いい話だなあ」ってなるわけですが、もうすこし怪物くんにはわかりやすく説明してもらいたかった・・・・。(笑)
「要するに」ってまとめると話自体は結構単純なんだろうと、それをふわっと包み込んでいるからよく分からん話になるという・・・。
怪物のよく分からん深イイ話には主人公であるコナー少年も困っていて、「なに言ってるかわからないよ!」と映画を観ているひとの気持ちを代弁してくれます。
サンクス、コナー。
まあ結局、怪物の語る物語は主人公コナーに通ずる話であり、僕が思うに
コナーが心のなかに抱えている「矛盾」に関する物語なんですよね。
お節介やろうの怪物くんは「この話はおまえのことだから、よく考えてみろよ」
ってコナーに諭しているわけです。
3つの物語のなかでも割とわかりやすかったのが、3つめの物語です。
****
・誰からも見えない男いた
・その男は他人から無視されることにうんざりしていた
・しかし彼は透明人間じゃなかった。周りが彼を見なかっただけ
・彼はその状況に耐えられなくなった。そしてこう思った
・誰にも見えない者が、存在しているといえるのか、と
****
その話をきいたコナーはこう言います。
コナー「じゃあ、彼はどうしたの?」
怪物「怪物を呼んだのさ」
コナーは学校ではぼっちキャラかつ、いじめられっ子という設定です。
そんなコナーに対してひどいイジメをする少年がいるわけですが、コナーはいつもいじめっ子のことをじっと見つめています。
まあそんなことをすればどうなるかなんてバカでも分かるわけですが・・・
いじめっ子「俺が振り向くと、おまえがいつも俺を見ている」
きもちわりーんだよーと言っていじめっ子にぶっとばされるわけですが、コナーはいじめられることで自分という「存在」が学校内にあることを証明したかったんでしょうね。
しかしある日いじめっ子が
「これからはおまえをもう見ない」
的なことを言います。
こんなことがあった時に「3つめの物語」を怪物から聞かされたコナーは
「うぉおおおおお!」
と、自分のなかに潜む怪物(暴力性)を呼び起こし、いじめっ子に突進し、馬乗り状態でボコボコにして病院送りにします。(笑)
そこまでのポテンシャルがあるなら最初からいじめられんな、って思いましたけど。
で、結局そのあとどうなったかというと・・・
透明人間は自分の存在を証明するために必死に暴れたが、その結果、より孤独になってしまった
というわけです。
怪物の深イイ話は体験型であり、実際にコトが起きたあとに
「ね、さっきの話の意味わかるでしょ?wwww」って感じです。
そういえば僕が学生時代、
僕が失敗するって分かっているくせに放置しておいて
失敗したあとになって「ほらみろ!」と注意する
むかつく教師いたなぁ。(笑)
一番よかったシーン
怪物がはなす3つの物語は最初は正直
「うーん・・どうなの?」
って感じでしたが、4つ目の物語、つまりコナーが語る「真実」はすごくよかったです。
そもそも最初の時点で
「俺が3つ話すから、4つめはオマエが話せ」
という無茶ぶりに対して、どんなジャイアン的な思考だよ・・・と思っていましたが、コナーが語るべき「真実」とは、
本当は言いたいけど、絶対に口にしてはいけない
コナーが心のなかに抱いている感情
のことなんですよね。
で、その「真実」というのがなかなか残酷なもので
母の死というつらい現実から一刻もはやく逃れたい
といったものです。
コナーの母親は重大な病気に罹っていて(末期の癌?)、さまざまな治療方法をためしますが一向に効果があらわれません。
そんな状態に対して母親はコナーを心配させないために
「次のクスリが効けば、きっとよくなる」
と言いますが、コナーはそれが嘘であることを心のどこかでは確信しています。
母はきっとよくなる
という気持ちと
母は、死ぬ
という気持ちが介在してしまっているわけですね。そしてそんな二つの矛盾した感情を心のなかにしまっておくのはひどく苦痛なことであり、母が死んでしまうことでその苦しみから開放されたいと、実は願ってしまっているわけです。
こういったコナーの気持ちは彼がみる夢にあらわれていて
・裏には墓地に母が立っている
・地面が突然裂けて、母親がその隙間に落ちそうになる
・コナーは母親の手を必死につかむが、最後はその手をはなしてしまう
今作の良かったところとして、主人公の内面が非常に丁寧に描かれていることが挙げられます。派手なアクション映画も爽快でいいですけど、たまには今作みたいな映画をじっくり観るのもいいのではないでしょうか。
小話
コナー少年が抱えていた悩みのひとつに
母の死というつらい現実から一刻もはやく逃れたい
がありますが、僕にも似たような経験があるのでそれについて書きたいと思います。
僕の家では昔から猫を飼っていました。僕が小学生の高学年くらいのころにはもうその猫は結構な高齢になっていて、ある日、猫の調子がおかしいということで病院にいったところ猫は重大な病気に罹ってしまい、残りの命はそれほど多くないということを獣医から聞かされました。
そして獣医はこうも言いました。
症状はこの先どんどん悪化し、猫は痛みを訴えると思いますが、大丈夫ですか?
と。
特に最後の「大丈夫ですか?」という質問が最初は意味が分からなくて、どうして猫じゃなくて僕たちに「大丈夫ですか」と聞いたのか不思議でたまりませんでした。
しかし、獣医の言っていた意味がすぐに分かりました。
猫は定期的に苦しそうに鳴くことが増えて、当時の僕にとってそれは耐えがたい光景でした。そのせいもあって、それまで猫の世話は僕がしていたのですが猫が苦しみ、弱ってしまってからは猫の世話は父親がするようになりました。
またある日、猫を病院に連れて行ったとき、獣医さんから
「安楽死させてあげるという選択肢もあります。いかがですか?」
と提案されました。
僕は猫を安楽死させてあげたいと思いました。
だけど、今思い返してみると僕はただ単に「大好きだった猫」が苦しむ姿をこれ以上みたくなかったからです。
猫がこの先「苦しんで死ぬ」という現実からはやく開放されたいために猫が安楽死されることを望みました。
安楽死させるべきか、させないべきか
僕以外の家族にとっても、猫は大切な存在であったため、獣医の提案は一旦保留にしておいて、どうすべきかみんなで決めることになりました。
もうその頃には猫は本当に弱ってしまっていて、家でずっと寝ている状態でした。
しかし、あるとき、猫のエサがいつも置いてある場所の方で猫の鳴き声が聞こえてきたのです。
家族みんなで声のする方へいってみると、空になったエサ入れの前で猫が鳴いていました。
「お腹がすいたから、はやくご飯をたべさせてよ」
と、僕たち家族に訴えていたのです。
こうして、僕たち家族は猫を安楽死させないことにしました。
その選択が正しかったのか、今でも思い返すことがあります。もっと苦しまずに楽に逝かせてあげるべきだったような気もしますが、猫は「もっと生きたい」と、僕たちに訴えていたような気がします。
それまで僕は猫から遠ざかっていましたが、猫を安楽死させないと決めてから再び世話をするようになりました。症状が軽い日は猫は意外に元気で、お腹を天井に向けて寝そべっている猫の姿をみていると、このまま元気になるんじゃないか?そう思う日すらありました。
しかし、猫は死んでしまいました。
でも猫は苦しむことなく、本当に、眠るようにして逝ったのです。獣医からは「最終的には発作がかなり強くなる」と聞かされていましたが、そうはなりませんでした。
今作「怪物はささやく」のラストでコナー少年は
「お母さん、いっちゃやだ」
「もっと一緒にいたい」
と母に自分の気持ちをぶつけます。
それまでコナーは「母の死」の死から目を背け、自分の気持ちを心の底にしまいこんでいたわけですが、最後は母の死にしっかり向き合い、また自分の本当の気持ちを母に伝えます。
コナーが4つ目の物語、つまり自分の真実(母の死からはやく開放されたい)を語ったとき怪物は
「勇敢だった」
とコナーをたたえます。
怪物が現れたときコナーは
「母さんの病気を治すために現れてくれたんだろ?」
と怪物に問いただします。怪物は
「おまえを癒やすために現れた」
と言っていて、そのセリフの意味がラストでようやくわかりました。
このシーンをみて、昔飼っていた猫のことを思い出したので書いてみました。
猫、天国で元気にしているといいな。
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