ここまで感想を書くのに苦労した映画は初めて! 映画感想「ヘルタースケルター」
365日映画カレンダー 9月25日 「ヘルタースケルター」
ヘルタースケルターという言葉は「しっちゃかめっちゃか」という意味で、もうすこし簡単に言いかえると「混乱しているさま」だそうです。
今作のタイトルが主人公の人生そのものを表しているわけですが、現実世界では異常ともとれる主人公の行動もなんでもありの物語の世界でいえば割と想定通りというか、それほど驚くような展開がなかったかなという感じです。
概要
↑ 概要というより、本編で起こることをすべて凝縮してくれているので、この予告映像を見ただけで今作の内容をほぼ把握できると思います(笑)
感想
まず好みがかなり分かれる映画であることは間違いないですね。
監督である「蜷川実花」は写真家としても活躍していて(というかそっちがメインだと思う)、映像にはとりわけこだわりがあるようです。
彼女の美的センスを受け入れることができるか、否かによってこの作品の評価はかなり変わってくるでしょう。
ちなみに僕はというと「普通に苦手な映画」でした。(笑)
極彩色(要するにギラギラした色使い)が多用されていて目が結構つかれるし、しかも映像的に綺麗かっていうと別にそうでもないような気がしました。
映画のレビューを観てみると、今作に対して好意的な人たちは
「沢尻エリカがきれい」
「映像がきれい」
という感想が多かったです。というか映像に関する評価がほとんどでストーリー展開などを評価している人は少なかったですね。
今作が映像に力を入れているのは僕もよくわかったのですが気になったことがあって、それは「映像の見せ方がワンパターン」だったことです。
「やたら羽が舞うシーン」が多くて正直しつこいなーと思ってしまいました。
別に「何もないところから突然、羽が舞うシーン」自体は別に悪くないと思います。
登場人物たちの心情などを映像によって表現するのは映画において非常に有効的な手法ですからね。
例えば「主人公が打ちのめされるシーン」といわれれば多くの人が「主人公が雨に打たれるシーン」なんかを想像するでしょうし、とつぜん嵐が来れば「不吉なことが起きるシーン」の前触れなんだなと、映像から直感的にイメージすることができます。
ただ今作ではそういった表現があまりに多すぎるのとワンパターンすぎて食傷気味になってしまいました。
そういえば2019年に蜷川監督による映画「ダイナー」が上映されましたが、そこでも今回のヘルタースケルターと同じような描写が多用されていたので監督の表現パターンがそれほど多くないのかもしれません。
しかし映画をすこし観ただけで「あ、これ蜷川実花監督が撮った映画だな」ってすぐ分かるっていうのは強みだと思います。クドカン、三谷幸喜、福田雄一などの監督による作品もだいたい主演する役者や物語の雰囲気でなんとなく誰の作品なのか分かりますもんね。個性がないよりは個性があった方がまし、ということでしょう。
映画の展開に関してはそれほど多く語ることがないですね(笑)
全身整形によって究極の美を得た主人公がやがて堕ちてゆく、という内容は今まで多くの作品でやりつくされた展開ですし。
あ、かなり印象に残っているキャラがいたことを忘れていました。
主人公りりこが整形手術をうけた病院の悪事を暴くために、浅田(大森南朋)という検事が裏で行動するわけですが、この検事が「絶対に言わんだろ」っていうポエムみたいなセリフをバンバン言ってきてかなり不快でした。
どれほど不快かというのはブログに貼った予告動画でもその片鱗がにじみ出ているわけですが、ぜひ実際に映画を観てその不快さを実感してほしいです。
原作が漫画なので、登場人物のセリフをそのまま引用したのでしょうけど漫画のキャラがくさいセリフを言うのと、実際の人間が言うのとではずいぶん聞こえ方が違いますからね。監督はじめ、演じている本人はその件について何も思わなかったのだろうか・・・
あと、これまで映画の感想をブログに書いてきましたが、これほど書く内容がなくて困ったのは初めてです。(笑)
ここまで読んでくれたみなさんごめんなさい。(^o^)ぷぎゃー
ブログ作成時間:50分(めっちゃ時間かかったわりに内容がまったくない・・・)
じゃあ一体どうすれば映画「君は月夜に輝く」がマシになったのか、真面目に考えてみた
365日映画カレンダー 9月23日 「君は月夜に光り輝く」
僕はヒロインの女の子が病気などで死んでしまう、いわゆる「ヒロイン病死系」(こんなジャンルはないですけど勝手につくってみました)の映画が大好きです。
一昔前なら「世界の中心で、愛をさけぶ」、最近だと「君の膵臓を食べたい」などが類似したジャンルの作品になると思いますが、結末は分かっていてもラストの展開にはつい涙してしまいますよね。
さて、今回僕が観た映画「君は月夜に光り輝く」ですが、どうやらレビューを見る限りではあまり評価が高くなさそうです。
というか、かなり評価が低いです。
そんなわけで今回は映画感想というよりは
「作品のどこがダメで、どうすべきだったか」
を勝手に考えていきたいと思います。
概要
発光病という不治の病に侵された女子高生、渡良瀬まみずが残り少ない人生においてやりのこしたことを同級生の岡田卓也に代行してもらうことで互いに心を通わせてゆく。
感想
「ヒロイン病死系」の王道パターンを守れ
「ヒロイン病死系」王道パターンとはなにか?
実は人の心をうつ映画にはある規則性が存在し、「ヒロイン病死系」であってもそれは例外ではありません。
そういった規則性を僕は「王道パターン」と表現しようと思いますが、王道パターンを考える上で映画「世界の中心で、愛をさけぶ」(以下、セカチュー)はいい教科書になるでしょう。
まず物語の展開をざっとまとめたうえで、「君は月夜に輝く」の問題点について考えていきたいと思います。
*********
王道パターンな展開と設定 例「世界の中心で、愛をさけぶ」
①現在パート(悩む主人公)
・死んでしまったヒロインを忘れることができない主人公が過去を回想する。
(ちなみにこのとき、手紙とかカセットテープとか、なんらかのアイテムをきっかけにして回想する)
・主人公は現在パートで何らかの悩みを持っている。
②過去パート(出会い)
・さえない(←ここ重要)主人公は、やたら明るい(←ここ重要)ヒロインと出会う。
・ヒロインは主人公に初期段階から好意を持っている。
・始め主人公はヒロインを意識していないが、何かをきっかけにして仲良くなる
(セカチューではラジオ番組にハガキを投稿し、主人公とヒロインとで、どちらかが先に自分が書いたハガキが読まれるかを競った。そのとき主人公は「自分の同級生が白血病になってしまい、文化祭でロミオとジュリエットのジュリエットを演じるはずだったが、それができなくなってしまった」と嘘の内容を書いた。ここで不吉すぎる伏線をはっている点も王道パターン)
③過去パート(付き合ってハッピー)
・二人でどこかに出かける(できるだけ綺麗で、幻想的な場所へ)
・これからもずっと一緒にいよう、と「絶対にヒロインが死ぬな」って思うような美しい誓いを立てる。
④過去パート(病気発症)
・主人公は基本的にヒロインの両親から嫌われる(「もう来ないでくれ!」みたいなことを言われて落ち込む)
・どんどん病が進行してゆくヒロイン。ヒロインの願いを叶えるために主人公は無理矢理ヒロインを連れ出す。
⑤過去パート(ヒロインの最後)
・しかしヒロインは死んでしまう
・主人公は悲しみにくれる。そしてその悲しみを乗り越えることができないまま時が経つ
⑥現在パート(主人公の精神的な成長)
・ヒロインを思い出すアイテム(手紙とか、カセットテープなど)や現在パートの登場人物の言葉によって主人公はヒロインを失った悲しみを乗り越える。
*********
これぞ王道って感じですねー。
もっと細かくみていくと感動するための仕掛けがさらに見えてくるわけですが、セカチューの大まかな構成をみるだけで「ヒロイン病死系」の映画には「何が必要であるか」がはっきりと見えてきますね。
さあそれでは王道パターンを参考にしつつ、「君は月夜に光り輝く」の問題点と、どうすべきだったのかを考えてみましょう。
現在パートと過去パートの間は数十年の時が経っていた方がいい
まずセカチューのなにがいいかって、現在パートの主人公(大沢たかお)が高校生時代の自分(森山未來)を思い返しているっていう構成がいいですよね。
なぜかと言うと
「何年もヒロインを忘れることができない主人公」 の一途さは心に響くし、年配の方々からすると「ああ、俺も高校時代にすっげぇ好きな子がいたよなぁ・・」なんていう具合に感情移入できる点も素晴らしいです。
さて、今作「君は月夜に光り輝く」もヒロインはすでに死んでしまったという現在パートからはじまるのですが・・・
ヒロインが死んでからそれほど時間が経っていない
という設定が王道パターンからはずれています。
これはダメです。ダメダメです。
ヒロインの死というイベントは、ある程度時間が経ってこそ美しく、はかなく思えるのです。
しかも今作の主人公は謎にモテる設定で、バイト先(メイドカフェ)のかわいい先輩から明確な好意を抱かれていることもあって、映画を観ている人からすると「こいつ、どうせすぐに次の女を見つけて幸せになるんだろぉ!」なんて思われてしまいかねません。
しかもそんなキャラをだしておいて、作中の物語には一切影響を与えないという、いるのかいらないような不要キャラが割りとでてくるのも今作のまずいところ。
というわけで現在パートと過去パートには最低でも10年くらいの時差を与えましょう。
ちなみに「君の膵臓を食べたい」もこの「王道パターン」を守っていた(パクって)はず。
主人公がクールはだめ!
「君は月夜に光り輝く」の主人公はクールすぎます。
というか・・・
元気がなくて、とにかくずっと暗い。
本当にまったく笑わないし、「君が死ぬの?」と聞きたくなります。
作中では主人公サイドもなんらかのトラウマをもっていることは描かれているのですが、(原作だとそのへんの説明もあるが、映画ではほとんど説明なし!)それにしてもとにかく主人公が暗いです。
30代のくたびれたおっさんの主人公なら哀愁があってそれでもいいと思いますが、高校生なのでもうすこし明るくしたほうがいいでしょう。
しかし「王道パターン」としてはさえない主人公が絶対条件なので、間違ってもクラスの人気者というくらいの明るさではダメです。ほどよく暗く、ほどよく明るいくらいの性格の主人公がベストと想われます。
あと理想的な主人公としては「ヒロインの死」に対して泣き叫んだりするシーンがあると最高です。
セカチューでは病気で倒れるヒロインを抱きかかえて主人公が
「助けてください!誰か、助けてください!」
と叫ぶシーンがあるのですが、普段はさえない主人公がヒロインのために声をはりあげるのはギャップがあって盛り上がるし、なにより切実な想いがこもっているのが伝わってきます。
主人公がさえないけど、ヒロインのためにやるときはやる、そんなキャラクターが「王道パターン」なのです。
実は脇役こそが重要
主人公とヒロインをより魅力にするためには「脇役」が非常に大事だと想うんですよね。
主人公とヒロインが仲直りするきっかけをつくったり、作中のテーマとなるような「気付き」をぽろっと言ったり・・・と「脇役」は物語に深みを与えるために必要不可欠な存在です。
さらに「ヒロイン病死系」の映画では主演俳優がどうしても若くなってしまいますので、脇役はなるべく「説得力のある」演技ができるベテラン俳優を起用すべきだと想います。
「君は月夜に光り輝く」に関していえば脇役にもっと出番を与えたり、作品のテーマとなるようなセリフを言わせるべきでしたね。
一応、父親や母親、看護師、主人公の友達なんかがそれっぽい役割を担っているのですが、とにかく脇役キャラたちの影がうすすぎて作品にほとんど影響を与えていないのが非常に残念です。
ところで、僕は思わず笑ってしまったシーンがあって
病気になったヒロインの父親が主人公にむかって
父:「普通に元気に育って、誰かと結婚して、『娘さんをください』なんて言われるんだろうと思っていたよ・・・」
主人公「は、はあ」(若干引いている)
父「娘さんをください、って言ってみてくれ」
主人公「む、娘さんをください」
父「なぐっていいか?」
なんでだよ!(笑)
意味わかんねーよ・・・・自分で言わせといて殴っていいか、って・・
とまあこんな感じで重要な役割を担うべき脇役がトンチンカンなことを言うので作品がまったく盛り上がりません。
主人公とヒロインの二人だけではたどり着けないような価値観、考え方
を提供し、作品に深みを持たせるのが脇役の仕事です。もうすこし脇役の登場人物たちにもスポットライトを当ててみてもよかったと思います。
ヒロインについて
まあヒロインについては割と「王道パターン」を踏襲できていたかなという感じです。
ヒロインの王道パターンとは、すなわち
・とにかく清潔感がある
・やたら前向き(特に病気の前兆シーンでは「なんでもないよっ!」と、気丈にふるまう)
・主人公にだけは弱いところをみせる
・両親想い
・ロマンチック
といったところでしょうか。「君は月夜に輝く」のヒロインも上記の「王道パターン」をしっかりと守れていたと思います。
ただ難点があるとすれば
ヒロインが死ぬ直前までめちゃくちゃ元気
というのは王道からはずれているといえるかもしれません。
セカチューでは白血病にかかったヒロインが映画がすすむにつれてどんどん弱っていきます。明るかったヒロインが弱っていく姿こそがある意味「見所」なのに、最初から最後まで元気であっては意味がありません。
さらに今回ヒロインは「発光病」という不治の病にかかりますが、きっと小説だった読者は美しい映像を自分の頭の想像することができるでしょう。
しかし実際に映像化してしまうとかなりチープな印象になってしまったという印象です。
とりあえずぼやーっとヒロインが光って、
「ほらみて、きれいでしょ?さ、感動してよ!」
という制作陣の浅慮がにじみでていて、こちらとしても意地でも感動したくないという気持ちになってしまいます。
「発光病」が作品になにか強いメッセージ性を持たせているとはとても思えないし、普通に実際にある病気でよかったと思います。
ブログ作成時間:1時間(笑)
いままでで一番作成するのに時間がかかった。
展開は見え見え!? 盲導犬なしでも視覚障がい者が猛ダッシュ 映画感想「見えない目撃者」
365日映画カレンダー 9月22日
今回僕が観てきた映画は9月20日に公開されたばかりの「見えない目撃者」です。
映画の感想としては、緊張感もあったしグロテスクな描写もかなり多めで僕が好きな要素は割とつまっていたはずなんですけど「それほど印象に残らない普通の映画」、が正直な感想です。
映画の評価を点数化するのってあまり好きじゃないけどあえてするなら「61点」といった感じですかね。
この映画をなにかに例えるなら、真面目に勉強して、教科書とか一生懸命読んでいるけどテストではあまり点数が伸びない優等生、です(笑)。
僕が61点と評価する理由は感想欄で詳しく書いていきたいと思います。
概要
警察学校を卒業する夜、浜中なつめ(吉岡里帆)は運転不注意により同乗していた弟を死なせてしまう。またそのときの事故の影響で視力をうしなったなつめは警察を退職し、そして人生に絶望する。
弟の死から3年が経ったある日、なつめは車の接触事故に遭遇する。車にのっていたのは猟奇事件の犯人だった。
なつめは事故の「目撃者」として警察に証言するもなかなか警察に信じてもらえず、もう一人の事件の目撃者である春馬(高杉真宙)と連絡を取り合い独自に捜査をすすめてゆく。
**ネタバレありです**
感想
映画とは、調理するが如し
映画や小説って「料理」に似ていると思うんですよね。
まずテーブルの上に「じゃがいも」「にんじん」「玉ねぎ」がのったところを想像してみてください。
別にのっている食材はなんでもいいのですが、普段あまり料理を作らない僕にはナイスな食材が思い浮かびませんでした。
これらの素材は
じゃがいも・・・ストーリー
にんじん・・・・キャラクター
玉ねぎ・・・・・世界観
としましょう。
「じゃがいも」と一口に言ってもこの世界に全く同じじゃがいもはふたつと存在しないように、映画におけるストーリーも似たものはあってもまったく同じものはありえません。
また同じような素材をつかっていても調理する人によってまったく異なった味付けの料理ができるように、映画においてもこれらの要素をどのように生かすかによって作品の味(=完成度)は大きく変わります。
映画を観ている僕たちは「調理過程」をすぐ横でみているといったイメージでしょうか。こらからどんな料理ができるのかな、なんて想像しながら映画を観ているわけです。
それではさっそく、今作の素材をひとつひとつみていきましょう。
じゃがいも(ストーリー)
良かったです。
「目の見えない目撃者」が犯人を追うというストーリーはユニークで素直に評価できますね。
「見えない」という言葉と「目撃者」が矛盾している点は面白いと思うし、見えないのにどうやって事件を解決してゆくのかも気になります。
今作は韓国映画「ブラインド」のリメイク作になるわけですが、邦題タイトル「見えない目撃者」はよく考えられていて、これ以外にないというくらい秀逸なタイトルなのではないでしょうか。
目撃者という単語からも何か事件が起きたんだなっていうことが一発で想像できるし、目撃者と言っているのに「見えない」って、なんだよ、というモヤモヤが生まれて映画を観たくなります。
僕が今作を観ることを決めたのも、単純に「タイトルからなんとなくおもしろそうだな」と思ったからです。
にんじん(キャラクター)
せっかくストーリーがよかったのにキャラクターはかなり残念です。なにが残念かというと、ストーリーを円滑に進めるためにキャラクター設定がされているような気がしてしょうがないんですよね。
もうすこしバランスよくできなかったのだろうか。
特に残念なのは主人公です。
今作において「見えない目撃者」である主人公:浜中なつめ(吉岡里帆)は元警察官という設定です。
2時間という短い時間内で物語をなるべく自然に進める必要があるので、主人公が元警察官という設定はある程度目をつむるにしても、設定においてやりすぎな部分があるのでツッコミをいれたいと思います。
ツッコミ①主人公がハイスペック
映画冒頭では吉岡里帆が射撃訓練をするシーンから始まります。的にめがけて発砲するわけですが、めちゃくちゃ命中精度が高いんですよね・・・。
次のシーンでは道着姿の吉岡里帆が柔術っぽい動きで男性警官を投げ飛ばし、残心をとるシーンが流れます。さらには警察学校の卒業式らしいシーンにて、卒業生代表として宣誓します。
一連のシーンで映画を観る人たちに何を伝えているかというと
「主人公は小柄でかわいらしい女の子だけど射撃の名手で、武術の達人で、とにかく優秀やで!」
(*関西弁に意味はありません)
ということです。このシーンを観た時点で僕は不安しかありませんでした。
なぜかって?
主人公にピンチがあっても結局これらの能力を使って解決する・・という展開がハッキリと見えたからです。そしてその不安は現実のものとなります・・。
そもそも警察学校を卒業したての主人公という設定がいかがなものかと思います。
「数年前まで現役としてバリバリ働いていたが、ある事件をきっかけにして引退してしまった中堅の警察官」とかなら主人公が優秀でも納得がいくのですが、現場に配属されたこともない新米警官になにができるの?って言いたくなるんですが。そんなこと考えるのは僕だけ?
ツッコミ②主人公がとにかくハイスペック
ごめんなさい。ツッコミ①とまったく同じ内容になるわけですがやっぱり主人公が優秀すぎて看過できません。
主人公は視力を失って3年という設定なのですが、視覚以外の能力がすごすぎです。
声を聞いただけで「年齢」「身長」が分かり、また嗅覚を頼りにして「お昼に何を食べたか」を見事に言い当てます。浜中のこの能力のおかげで、「視覚障害者の証言なんてアテにならない」と思っていた警察側も急に協力的になります。
さらに浜中は並外れた記憶力と空間認識能力をもっています。建物の見取り図を聞いただけで瞬時に記憶し、犯人がひそむ館(笑)に潜入したときにはその常人離れした能力を惜しむことなく発揮します。
浜中「おかしい、このあたりに階段があるはず・・・」
春馬「あ、本棚がある。どかしてみよう・・・って上に続く階段がある!よく分かったな!」
浜中「ここまで来る途中、建物の見取り図を教えてもらったから!」
春馬&すべての観客たち「すげぇ!」
ばかやろう(笑)どんだけすごいんだよ。
さらに
不自然なくらい人がいない駅構内(笑)
にて犯人に追い詰められるシーンでは点字ブロックだけを頼りにして転ぶことなく普通にダッシュしたりします。そのすぐ横を盲導犬が並走するという、もはや真面目なのかギャグなのかよく分かりません。
ツッコミ③登場人物たちが基本的にみんなバカ
みんなバカです。
特にバカが際立っていたシーンは、犯人を追い詰めるシーンですかね。
物語終盤にて意外な人物(といってもそれほど驚きはない)が犯人と分かるわけですが、犯人が確定した時点であとは警察にまかせておけばいいものを主人公サイドの人物たちはやたらと事件に関わりたがります。
さらにバカなのは犯人を追い詰める際、なぜかみんな単独行動を取りたがります。自ら進んで犯人に殺されにいくわけです。
警察官A「おまえが・・・犯人だろ?」
犯人「せやで」
警察官A「被害者はどこにいる!?はやく開放しろ!」
犯人「トランクにおるで。はよせな、死んでしまうで」
警察官A「え、ホンマなん?」
犯人「ホンマやで。見てみ」
(がさごそ・・・うしろから犯人近づいて警察官A刺し殺される)
バカすぎる・・・
さらに
警察官B「警察官が正義ってところをみせてやるぜ!」
(応援を待てばいいのに犯人が隠れる館(笑)に一人で潜入し殺される。)
バカすぎる・・・
さらにさらに
春馬「警察官Bが戻ってこない・・・心配だから俺、犯人がいる館に潜入してみる!」
浜中「うちもいくで!」
(わざわざ視覚障害者の主人公を引き連れて犯人がスタンバイしている館(笑)へ潜入し、絶体絶命な状況に陥る)
バカすぎる・・・
バカは主人公サイドだけではありません。
犯人もそれと同じかそれ以上にバカです。
動機がバカ
超優秀な浜中はわずかな情報から、犯人の犯行動機をわりだします
・10年前に起きた猟奇殺人事件を模倣している
・被害者は 「口」、「耳」、「手」、「鼻」がそぎ落とされていて、それには不純な魂を浄化する、という宗教的な意味がある。つまり犯人は儀式を行っている。
・被害者はあと二人でる。それは「目」と「頭」を犯人が狙っているため。
こんなにいい設定をつくっておいたくせに、最後に犯人は
「俺はただ人がころしたかっただけなんだ!」
というまさかの発言をします。それまで儀式的に(あるルールに則って)殺人を行っていたのに、作中のラストではもうその設定を忘れたのか、突然ただの殺人鬼に成り下がります。
犯人はジェイソンをリスペクトしている?
「13日の金曜日」に登場する「ジェインソン」というキャラクターは知っていますか?
ゆっくりと追いかけているくせにいつの間にか被害者たちが逃げる方向へ先回りしているという通称「ジェイソンワープ」を使うジェイソンですが、今作の犯人はこのジェイソンをリスペクトしているとしか思えません。
「走って追いかけろよ」
と、映画を見ながら僕は何回思ったことか。
「ジェイソンワープ」よろしく、犯人も謎のワープを多用します。
玉ねぎ(世界観)
さて、最後に世界観について。
事件に巻き込まれる被害者たちはみんな親から見捨てられた家出少女たち。
その少女たちは風俗で働いていたりします。
事件のもう一人の目撃者:春馬はそういった彼女たちと境遇が似ていて、彼も親から見捨てられています。
なんとく現代日本が抱える問題に焦点を当てているような気がしますが、それほどメッセージ性もなく映画はあっさりと終わります。
犯人は「不純な魂(=風俗で働く少女たち)」を浄化したいという目的があったはずなのに最後の最後で「別に人が殺せればだれでもよかった!」なんて言うから、この世界観も台無しです。
そして料理は完成する・・・
素材
じゃがいも・・・ストーリー
にんじん・・・・キャラクター
玉ねぎ・・・・・世界観
がそろって、さてどんな料理(=映画)ができるのか、とワクワクできるのかというとそうではなくて、映画はそれほど驚きもなく普通に終わります。
イメージとしては「カレー」の箱が用意されて、そのままカレーができちゃうイメージです。(笑)
実は「カレーの箱の中身はシチューでした!」みたいな裏切り(=ドンデン返し)もなく、不味くもおいしくもないカレーを僕たちは食べることになります。
僕がこのような印象をもった最大の要因は「ストーリー以外の設定」がごくありふれたものだったということにあると思います。あともう一ひねりくらいあれば映画の印象がもっとよくなっていただけに、非常に残念です。
まとめ
・ストーリー以外(キャラクター、世界観)が優等生レベルで新鮮味がない。
・登場人物がバカすぎて、笑っていいのか真面目に見ていいのかわからない。
・伏線の張り方が雑すぎて観ている人にバレバレ。例えるなら、猫がうんちをしてその後に砂をかけると思うけど、それくらい雑で、伏線を隠しきれていない。伏線がバレバレだから先の展開が簡単に読めてしまって驚きがない。
あとどうでもいいことだけど
・春馬は将来の夢がない高校生、という設定なわけだけど最後に
「おれ、警察官になれるかな・・・・?」
と言ったシーンでは
作中のバカ警察のどの姿を見て憧れたんだよとツッコミを入れたくなった。
ブログ作成時間:40分
この世にいる人間はすべて「悪」である 映画感想「凶悪」
365日映画カレンダー 9月19日 「凶悪」
今回僕が観た映画はノンフィクションベストセラー小説「凶悪-ある死刑囚の告発-」を原作とした「凶悪」という作品です。1999年に実際にあった事件をモデルにしています。
基本的に僕は映画を観るときにあらすじを一切見ないので、タイトルをみたときに凶悪犯たちの狂気を描いた作品なのだろうなと短絡的に予想していましたが、映画を観たあと、その感想は大きく変わりました。
今作は凶悪犯のおそろしさを描いただけの作品ではなかったのです。
「凶悪」とよばれるものは一体、何か?
実は「凶悪」と呼ぶべきものは僕たちのすぐそばにあるのかもしれない。
今作はそんなことを考えさせられる作品です。
概要
記者である藤井のもとに、東京拘置所に収監中の死刑囚・須藤から手紙が届く。上司から面会を命じられた藤井は須藤に会いにいく。
須藤から聞かされたのは、警察も知らない3件の殺人事件についてと、事件の首謀者である木村という男の存在であった。
自分を裏切った木村を道連れにするために事件のことを記事にしてほしいと頼む須藤の告白に藤井は半信半疑であったが、取材を続けていくうちに須藤が話していることが真実であると確信し事件に没頭してゆく。
感想
凶悪犯を演じた2人の役者が最高に最悪
まず死刑囚である須藤役のピエール瀧、そして須藤を裏切った事件の首謀者、木村役のリリーフランキーの演技が狂気に満ちていて本当に素晴らしかったですね。
役者ってすごいなと思うのは「人を殺したことなんてないはずなのに」人殺しの役を演じることが出来る点です。演じるうえでよく「役に入り込む」っていいますけど、人殺し役になるにはどういうイメージをもって撮影に臨んでいるのだろう。
ピエール瀧については今や本物の犯罪者なので納得の演技力といったところなのかもしれませんが、木村を演じたリリーフランキーは、人殺しをまるでゲームのように無邪気に楽しみます。どうして残酷なことをしながらそんなに楽しそうに笑えるのか、映画を観ていて不思議で仕方がありませんでした。
「死にたくない」と泣き叫ぶ被害者の表情を見て、満足気に笑うリリーフランキーの演技は相当胸くそ悪かったですね。そういった感情をもってしまった以上、その時点でリリーフランキーの演技に魅せられてしまっているわけですけど。
ちなみに今作が公開されるタイミングでリリーフランキーは映画「そして父になる」にも出演していて、彼の演技の振り幅には驚かされます。優しい表情もできるし、残酷な表情もできる。本当のリリーフランキーの表情はどっちなんでしょうかね。
ところで幅広い役をこなせることからカメレオン俳優なんて言われている山田孝之は、ピエール瀧、リリーフランキーと共演できると知ってこの映画への出演を決心したそうです。山田孝之は相当演技力が高いと思いますが、主人公である彼よりも今作で凶悪な犯罪者を演じる2人の演技はまさに「凶悪」で、今作において異様な存在感を放っていると思います。
凶悪とは何か
さて、今作のテーマは冒頭でも少し触れましたが「凶悪とは何か?」、もうすこし補足すると、罪として裁かれるようなものだけが凶悪なのか?ということだと思います。
須藤と木村がターゲットにしているのは主に老人です。
例えば莫大な借金を抱えている牛場という一家に対し、須藤と木村は「保険金をかければ後は俺たちがおまえたちの父を事故にみせかけて殺してやる」と提案します。すると家族たちは罪悪感を抱きながらも他に借金返済の方法がないため2人の提案を受け入れてしまうんですよね・・・。
須藤は被害者を殺す直前に「家族はおまえが死ぬのを望んでいる。俺は家族から依頼されておまえを殺すんだ」と打ち明けるのですが、そのときの被害者の絶望の表情は直視できなかったし、被害者が死んだことで得た保険金で借金を返済し、普通に生活している牛場一家にも恐怖を感じました。
自分が生きていくためだったら誰かを平気で犠牲にするという人間の恐ろしさが描写されているシーンだと思います。
しかし、こういった残忍で凶悪な一面は、人間なら誰しもが持ち合わせていると思います。
今作の主人公である藤井(山田孝之)は須藤や木村が「悪」として描かれているのに対し、その悪を暴くために取材を続ける「正義」の存在ですが、実は正義なだけではありません。捉えようによっては「悪」とも思える一面が彼にもあるのです。
藤井の母は認知症を患っており、その介護を妻である洋子にすべて任せています。罪悪感から自分の母親を老人ホームに預けることを拒否する藤井ですが、母の介護をひとりでこなす洋子は次第に疲弊していきます。事件に没頭する藤井はそんな洋子に対し
「真実が明らかになれば死んでいった人たちの魂が救われる」
と自分がやっていることの正しさを証明しようとします。
しかし洋子は「死んだ人の魂なんてどうだっていい」、ただ藤井と一緒に普通の生活がしたいと切望します。
さらに洋子は母に手をあげていることを藤井に告白し、「自分はこういうことをするような人間ではないと思っていた」と涙します。最終的に我慢の限界に達した洋子はついには離婚を提案します。
「正義」として事件を追う藤井ですが、心の深いところでは事件を追うことを楽しんでいて、妻である洋子の人生をめちゃくちゃにしてしまっていたんですよね。
事件を追うなかで母のこと、妻である洋子のことで悩む藤井ですが、ラストシーンにてついに母を老人ホームに入所させることを決心します。
妻と普通の生活をするために自分の母を老人ホームに預けるシーンは、借金返済のために家族の一人を売った牛場一家と重なって、「悪」の定義を考えさせられました。
人は自分のために、自分以外の誰かを平気で犠牲にする。
この感情こそが「凶悪」と呼ぶべきものだと思います。
僕たちも気がつかないところで誰を傷つけ、犠牲にしている「悪」と呼ばれる存在なのかもしれません。
この映画を観たことで、もしかしたらこの世に純粋な「正義」と呼べるものなんてないのかもしれない、そんな気分にさせられました。
ブログ作成時間:25分
ハリーポッターのダニエルラドクリフがおならをする死体役を演じる? 映画感想「スイス・アーミー・マン」
365日映画カレンダー 9月17日 「スイス・アーミー・マン」
スイスアーミーナイフとは日本におけるいわゆる十徳ナイフのことで、今作は
「十徳ナイフのような便利な機能をもった死体がいたら?」
という、凡人では一生思いつかないようなアイディアがベースになっています。
監督がいわく「死体に乗って、無人島から脱出するシーンが撮りたかった」そうです。
なにを間違えればそんな発想が浮かび、さらにそれを映画にしようと思うんですかね?
ちなみにハリーポッターでハリー役を演じたダニエルラドクリフが死体役を演じているのですが、死体がオナラをするシーンを脚本で読んだときに「これだ!」という意味不明のインスピレーションを受けて、出演を引き受けたそうです。
みんなバカです。(笑)
概要
無人島に流れ着いたハンクは絶望の末、首を吊って自らの命を絶つことを決心する。
自殺する直前、砂浜に男性が倒れているのをみつけたハンクはいそいで男のもとへ駆け寄るが、すでに男に息はなかった。
ふたたび絶望し自殺の続きをしようとするハンクだったが、死体からオナラのような音が聞こえてくる。
ハンクは不審に思いながらも自殺を一旦中断し、死体へと近づいてゆくのだった。
感想
とりあえずおバカなシーンだけでも十分楽しめる映画
いやー久しぶりに映画を観て爆笑できました。
映画の冒頭からバカシーンの連発でどれだけつっこんでもたりないくらいでした。
まずいきなり
「遭難している」
「一人で孤独に死にたくない!」
なんてメッセージが書かれた瓶が海にうかんでいるのですが「ああ、遭難している人の物語なんだね」っていうのが一発で分かってステキでした。(笑)
まさに状況説明するためだけのシーンという感じで違和感バリバリでさっそく笑ってしまいましたね。分かりやすくていいと思いますけど、もう少し、なんというか……オシャレに表現できなかったんだろか。
でも
「この映画は何かやってくれそうだ」
という謎の期待が僕の中で一気に高まりました。
さて、ハンクは砂浜に打ち上げられていた男性がすでに死んでいると分かり落胆し、再び自殺をしようとするのですが そのとき突然オナラの音が聞こえます。
死んだ人間(特に水死体)って体内にガスがたまってお腹が膨らむっていうじゃないですか、だからこのシーンを観たとき、そういう意味なのかなと思っていたのですが・・・
違いました。
ちゃんと死体がオナラをしていたのです。
しかもそのオナラの威力はすさまじく・・・
「まじかよ!こりゃすげぇ!」
と言って死体をジェットスキーのように巧みに操るハンク。
ダニエルラドクリフのこの虚ろな表情・・最高です。
なんやかんや、オナラパワーで無人島を脱出するのですがハンクと死体がたどり着いたのはまたどこか見知らぬ海岸でした。助けを求め、ハンクは森の奥へと入っていきます。
便利すぎる死体!
自分たち以外に人間がいないのではないかという不安にかられ、ハンクはパニックになります。そんなとき雨がふってきたのでハンクは洞窟の中で雨風をしのぐのですが、ひとりきりで孤独に耐えかねたハンクは死体に語りかけます。
すると・・
「メ、、、、メニー」
そうです。
そうなのです。死体がしゃべったのです。
さらに自分の名前は「メニー」であると、自己紹介してくれるではないですか。
なんということでしょう。
しゃべることで孤独な気持ちが少しだけ解消されたハンクはメニーと夢中になってしゃべります。メニーはこの世界のことを何もしらないため、ハンクはひとつひとつ丁寧にさまざまなことをメニーに教えていきます。
死体の便利機能はしゃべるだけにとどまりません。
・口から ゲロ 飲み水をだしてくれる!
*これで水には困りませんね
・エロ本をみせるとメニーの股間がそそり立って、方位磁石の代わりになったり
*あまりエロ本を見せすぎると立たなくなるので注意が必要です
・死後硬直を利用して(笑)腕が斧の代わりになったり
*これで木を切って簡易的な家をつくったりします
・石を口につめるとまるでそれを銃弾のように発射できたり
*動物を仕留めることが可能に
これら以外にもメニーは次々と新しい機能を充実させてゆき、ハンクはそれを活用して次第に遭難生活が豊かにしてゆくのでした。
つっこみポイントとしてはメニーが便利すぎて、最初は遭難して死にそうだったのに途中から今の状況を楽しんでしまっているところですね。
あと森の中には
「あるわけないだろ」
と言いたくなるような物が都合よく落ちていて、それらを活用してハンクとメニーはめちゃくちゃ楽しそうに遭難生活を送ります。
作品に込められたメッセージは意外に深い
メニーのぶっとんだ便利な能力を観るだけでも十分映画を楽しむことができるのですが、真面目なシーンも意外にあって、さらにそういったシーンはメッセージ性があってよかったです。
まず今作は
「死を覚悟した主人公」と「死体」という真逆の属性をもつキャラクターによって物語が進んでいく点がおもしろいですね。
死体であるメニーは何も知らないので、ハンクは彼にこの世界のことを教えてゆくのですが、その過程で「自分が大切にしているもの」を見つめ返すきっかけになっているのもよかったです。
自分の悩み、特に心の奥底に抱えた悩みって簡単に人には相談できないと思うんですよね。
ハンクの場合だったら父との関係のことや、一方的に片思いをしている女性について。死体であるメニーはなんでも真剣に聞いてくれるため、ハンクはすこしずつメニーに心を開くようになっていきます。
そしてメニーも次第にこの世界や人間について学習していき、核心をついたような発言をしてハンクを感心させたりもします。
死体が生きている人間に活力を与えているっていう構成は非常にいいと思いました。
でもやっぱりバカ映画
「このシーン、すごく綺麗だな」って思ったすぐあとには「熊に食われそうになったり」して、とにかく感動と笑いの振り幅がものすごいです。
熊に食べられながらのんきにメニーと会話をするシーンでは悔しいですが爆笑してしまいました。
こんな具合に基本は「笑い」でたまに感動を入れつつも、映画のラストは一応感動的な感じで終わるのですが、主人公の父親が
「い、意味がわからん・・・・」
と、口をぽかーんとしながらと言うシーンがあって、まさに映画を観ている人の気持ちを代弁しているかのようです。
そうなんです、なんとなくいい感じに映画は終わるんですが、やっぱり
「意味がわからん」
のですよね。この映画。
感動させたいのか笑わせたいのか、どっちなの?って聞きたくなります。
余談になりますが今作を観たとある映画評論家は「あまりにもくだらなさすぎて」映画を観ることを放棄したそうです。
そうしたくなる気持ちもわかります。
しかし、今作は「この次はどんな展開になのだろう」とわくわくしながら観ることができて全体としてはとてもいいおバカ映画だったと思います。
まとめ
毎日通勤中にNetflix で映画を観ているのですが、不覚にも車内で笑ってしまいました。
最初、死体役の俳優があのダニエルラドクリフに似ていたので「あれ?似てるなー」と思っていたらまさかの本人でした(笑)
ちなみに映画の撮影中、ダニエルラドクリフはどれだけバカなシーンでもめちゃくちゃ真摯な態度で撮影に臨んだのだとか・・・。
真面目か!
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